僧帽弁閉鎖不全症手術を決めてから、退院まで。血小板減少症により再入院してから退院、亡くなるまでの闘病記録はこちらです。

犬の僧帽弁閉鎖不全症手術後合併症・免疫介在性溶血性貧血~転院

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昨日の夜、病院から電話があって、夕方の検査では輸血のおかげか赤血球の数値が少し上がって、あんぱんも少し楽そうになっているという話でした。少しだけホッとしました。

目次

術後42日目(再入院20日目)

面会に行く前に病院に状況確認をすると、また貧血が進んでいるので輸血の準備をしていると説明があったのですが、実際に病院に着いてから先生の説明では、輸血は見送って血液の上澄みのようなもの(成分輸血?)を点滴しているということでした。
あんぱんはICUでしんどそうにしていて、今日は撫でさせてもらえませんでした。

また夕方の検査次第で、輸血をするかもしれないというお話しでした。

転院を決めました

家に帰ってから、仕事から帰って来た夫と相談して転院を進めることにしました。

幹細胞治療が可能な病院は見つけていましたが、距離が少し遠かったのでもう少し近くで探してみたところ、車で30分くらいのところにあったのでそちらの病院(以後、A病院とします)に転院の相談をしていました。
A病院は夜間は人がいないので、入院ではなく通院することになりました。
家には酸素濃縮器がまだレンタル中で置いてあったので、その方があんぱんもゆっくり落ち着けて良いと思いました。

退院させることになりました

夕方の検査後、病院からの電話で2回目の輸血をすることになったと連絡がありました。
その時に先生から「夜来られますか?」と言われました。
不安になりながら、夫は数日あんぱんに会っていなかったので行くことにしました。
病院で先生の話では、朝までに亡くなってしまうかもしれないような感じだったので、輸血が終わったら連れて帰りたいと伝えました。
病院ではもうICUで様子を見ることしか出来ないようで、先生も引き留めることはありませんでした。

輸血が終わるまで数時間待って、その間に転院のための引き継ぎ資料を準備して頂きました。
転院先のA病院にも連絡して頂けることになりました。

あんぱんを連れてきてもらって、抱っこした時、軽さに驚きました。
近くで見るとかなり痩せていて、1人で頑張ってたんだなと思って、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

病院で聞いて驚いたのが、あんぱんはもともと怒ったりするような子じゃなかったのですが、最近は先生が何かしようとすると噛みつこうとするらしいのです。
検査や治療が、あんぱんにとってはそんなに嫌なことだったんだと思って、悲しくなりました。

あんぱんの様子

なんとか家に連れて帰って、酸素濃縮器の酸素が吸える状態にして、そばで見られるようにして寝ることにしたけど、朝まで心配で心配で寝るどころではありませんでした。
あんぱんはフラフラで自分で歩くこともままならない感じで、目が揺れてるような状態(眼振?)になったりすることもありました。
家に帰って落ち着いていたけど、私たちがどこかに行かないか心配で一生懸命目で追いかけているような感じでした。

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